FIELD NOTE KUSHIRO

北海道くしろ地方のローカルメディア「フィールドノート」のブログ

思いと言葉 喫茶店「糸」 FIELD NOTE02より

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思いと言葉

このマチにしかいない会社の社長さんやお店の店主さん、その思いと言葉をご紹介する連載。今回は、白い砂糖や乳製品、たまごなど使用せずにつくる焼き菓子とネルドリップの珈琲を楽しめる喫茶店「糸」の坂見仁さん、梨舞さんのお話しをご紹介します。

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-2014年の7月14日に焼き菓子のお店としてオープン、1度お休みして改装し、喫茶店として再度オープンした糸さんですが、はじめにお店をやろうと決めたのはいつ頃からになるんでしょうか? 

 

坂見梨舞(以下○)お店をやろうと思っていたのは10年くらい前からやろうと決めていて、やるとしたら名前ももう決めていて。由来は色々とあるんですけど、一緒に生きている人たちの糸口でありたいと同時に、自分たちの人生を一本の糸に見た立てて、糸と決めていて。

 

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-その時からコーヒーはご主人の仁さんが担当すると決まっていましたか?

 

坂見仁(以下●)その時の僕は、自分たちの居場所を自分でつくる、もしくは設計するっていうことを考えていて。ずっとそういった建築のデザインだとか、設計、現場の仕事を続けていました。

 

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-それはいつ頃からですか?

 

 ●大学を選ぶ時に、ものづくりを僕はやりたくて建築を選んで。なので建築学科のある大学へ行きました。卒業後は都内の設計事務所に就職して。

 

-その頃くらいには梨舞さんとお店の構想なんかもあったんですね。

 

○そうですね、漠然とだけど。喫茶店をやりたいって思いがずっとずっと私はあったので。というのも、父が喫茶店好きで、よく小さい頃に喫茶店へ連れられていた記憶があって。たぶんそんな遺伝子もあって。(笑)

 

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-では進学の頃には、もう食の道へと思っていたんですね。

 

○高校は湖陵に行って、周りはお医者さんを目指したりで勉強頑張っていて、私も最初はそれなりにしてたんだけど。(笑)

途中から食に携わりたいなと思って。じゃあどうすればいいんだろうって模索して。卒業後は栄養士の短大に行って、でも卒業間近の実習に行った時に、栄養士が嫌だなと思って。(笑)

 

-それは何故ですか?

 

●介護施設での実習があったんだよね?

○そうそう、短大卒業間近に色々なところへ実習に行くんですよね。たまたま私が行ったところが、そうだったってことなので全てではないと思うんですけど。全然みんな楽しそうにご飯を作っていなくて。(笑)

お年寄りの方に元気になってほしいためのご飯なのに。食材に対して酷い扱いをしていたり。野菜も洗剤でゴシゴシ洗うし、まぁ大きいところだと当たり前なんだろうけど。そういうのを見て、嫌だなって肌で感じたというか。それで栄養士になりたくないなって。

 

-考えさせられますね。

 

○そうして迷っている時に、根本きこさんという、私が働いていたお店のオーナーさんなんですけど。きこさんの本に出合って、「あ、これだ」と思って。(笑)この人の近くで働きたいと思って、本の編集者に手紙を書いて。(笑)

 

-すごいですね。(笑)

 

○なんとか本人と連絡とれませんか?出来るなら手紙を渡してくださいって書いて送ったの。そしたら編集長さんがとても親切な方で、きこさんに送ってくれて。でも返事が3ヶ月以上経っても来なくて。来る日も来る日も郵便ポストみて、こないなーって。諦めていたときに返事がきて。

 

-本人から?

 

○きこさん本人から。(笑)手紙の内容は「今はまだまだ自分たちのペースでやっていて、誰かを従えたりしているわけじゃないから、今は何もお手伝いすることはできないけど、好きでやっていることならきっと、大丈夫です」って返ってきて。でもいつかはつながれるはずと思って、それまでに成長しようって思って勉強して。

 

-その時、仁さんは設計の仕事をしていた感じですか?

 

● 最初に勤めた設計事務所では、洋服屋さんや住宅兼歯医者さんのデザインなど、図面書きの仕事をしていて。そのあとの施工会社では、職人さんの手配から見積もりまで、自分で色々コーディネートする職場でした。その時に職人さんの仕事を手伝ったりして、自分である程度ものをつくるスキルを習得した感じです。

 

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-なるほど、糸さんの改修や設計をご自分で行ったというのもここで培っていたんですね。では梨舞さんが念願のきこさんのお店で働くことになったのは何年くらいからですか?

 

○2007年くらいかな、逗子にある「coya」って名前のお店になるんですけど。いつかはっていうイメージは常に捨てないでいたんですけど、まさか本当になるとは思っていなくて。

 

●その時の梨舞は有名な自然食のGAIAってお店があって。そこの兄弟会社で正社員にまでなっていたんですよ。でも、そのきこさんのお店にお客さんで何回か行っているうちに、すっごく小さく「アルバイト募集してます」って書いてあって。

 

○そう!ほんとにもう、ものすごく小さく。出入口の引き戸の手をかけるところに小さく。(笑)

 

一同(笑)

 

○え!募集してるんだって思って。でも会社の社員になったしなーと思って。それで一週間後、また行ったらまだ募集していて。ね?

 

●ストーカーみたいだったよね。

 

○そう思われないようにしようってね。(笑)でも、きこさんの旦那さんに、声をかけてもらって。「今なにやっているの?良かったら働いてみませんか?」って言われて。

 

-熱意が伝わったんですね。

 

○社員にしていただいてた会社の人たちにも、私が普段どんなことを思っているとかいつも話していたから知っていて。素晴らしい場所だったから苦渋の決断だったけど。だけどずっと同じではいられないし、自分のやりたいことがあるのならその道に進むべきだなって思って。最終的には会社にも思いが伝わり快く、行ってきなって感じで背中を押してくれて。そしてcoyaへと。

 

-念願の場所で働きはじめてからの変化とか、何かありましたか?

 

○自然食のお店で働き始めた時は、教えてもらおうって姿勢で働いていたけど。coyaで働き始めてからは、ここでは教えてもらうのではなく、自分は何がやりたいのか、表現したい形だとか、自分でつくらないといけないんだなって感じて。教えてもらうこともあるんだけど、教わるだけの時代は終わったなって。自分のかたちを見つけて、つくっていくんだなって思って、大きな変化でしたね。

 

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-その後、東日本大震災が起きたことをきっかけに釧路へ戻ってきたということなんですが、ある意味そこで震災が起きていなかったらcoyaで働き続けて、仁さんも建築の仕事を続けていたかも知れない?

 

●たぶん踏ん切りついてない可能性はあるよね。

 

○いつかはやりたいんだって思っていても、そのいつかっていうところの心地良さと、今いる自分たちの、ね?

 

●逗子、葉山で生活していた居場所の居心地が良かったので。それが壊されたことで、新しく自分たちの居場所をつくらないといけないって。

 

○そう思ったよね。だからものすごい覚悟というか。今までは自分たちのやりたいことをやっている人の近くにいて、自分たちも好きなことをやってるって感じだったのに。好きなことをやってる人の傍でやるのと、自分たちがそれを築き上げていくのとでは全然違くて。 また色々と自分たちの将来を見直して、フタをしていたところもあったと思うんですよね。居心地いいところにいた部分もあったし。いつかって思っている自分に甘えたりとか。じゃあ、いつかっていつだ?ってなったときに、今だなって。そういう時が来たんだなって。あとはここでは暮らせないなって。

 

-その後のきこさんたちは?また、釧路へ戻って来ることになってからはどんな感じだったんでしょうか?

 

●きこさんたちは沖縄へ移住して、落ち着いて。周りでも南へ避難する人が割りと多くて。でも自分たちは地元に戻ってこようと。それとその時、釧路に戻ってくるということは、自分たちで何かをやろうと決めていたので、こっちで建築の仕事を探したりはしなかったんですよ。お店はじめる際の資金面の問題があったけど、アルバイトして。そうやって先に焼き菓子のお店をはじめたのが最初の段階です。

 

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-今までの仕事を一切出さないで、新しいことをはじめるってすごいですね。

 

●それは、珍しく僕がやると言って。(笑)

 

○やりたいことのためにやるやりたくないことは、それはやりたいことだと。そう思うようにしたんだよね?そうしていったというか。

 

-すごい、変容したんですね。

 

○最初は10年以内にって、ちゃんとお金を貯めてからって思っていたけど。結局やっちゃった方がいいってなってね?(笑)

 

●気持ちが持たないと。(笑)

 

○やれば何とかなると思ってやって、もうそれしかないと。(笑)そのタイミングで今の物件の話があったり、当時アミカフェだったリズムさんに家族総出でお世話になったりと、救われて。

 

●僕たちお金とか全然ないけど、人にはほんとに恵まれていて。材料の仕入先も梨舞が以前勤めていたところから仕入れさせてもらえたり。

 

○財産とか物質的なものはなくてもね、ほんと助けられて、生かされてね。

 

-釧路へ戻ってきてから更に人とのつながりが重なって、今に至るんですね。

では、自分たちの居場所をつくったところで、心がけていることや発信していきたいことなどありますか?

 

○心がけているというか、最近すごく大切な友だちが亡くなったんですよ。店で使っている器を焼いてくれた友だちで、家族みたいに仲良かった人で。あらためて「あたりまえのこと」を保つには、意識と努力がすごく必要なんだなって。お店をやっていく上でも自分たちがつくるものであったり、空間や空気っていうのは、小さいそういうものの集合体でできていることだから。常日頃、今が一番大事だって。もちろん未来も大事だけど、今の積み重ねで未来があるから。

 

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-そうですね。あたりまえのことって、慣れてしまうというか。

 

○どうしても人間慣れちゃうと忘れたりとか。風化してしまうことや、楽なほうに行ってしまったりとか。気が緩んだりとかってどうしてもするものだから。

 

-他にもなにか大切にしているものや意識していることとかってありますか?

 

○もちろん味とかモノも大事なんだけど、何かを選ぶ時に人を重視しますね。何かを買ったりすることはその向こうにいる相手を応援することになるから、「選ぶこと」は重要だなと思っていて。目先のことだけじゃなくてね。やっぱり子どもを見ていても親がくれたものをそのまま口に入れるし、親って責任重大じゃないですか?自分たちが選ぶその一つひとつで、血となり肉となるものだから。(笑)その正体を知ろうとして何が悪いのかなって思うし、知らなかったら済まされないことばっかりだし。自分たちが子どもに残せるものって何かなーって考えた時に、物質的なものだけではなく、生きていく知恵だったりとか。

 

-味噌つくったりとか、生活の知恵とか。

 

○そうそう、自分がおばあちゃんになって例えば孫が具合悪くなった時とか、ここの病院の薬が効くよーではなくて、そうじゃないことを教えてあげたいなって。そういう知恵とかを今も残していってる人の言葉や本を読んで勉強したいと思うし。自分だけじゃないし、自分の子どもだけじゃないから、その子どもの子どもって続いていくものだから。無関心が一番よくないと思うよね。結局そういったツケは回ってくるものだから。自分とか自分の回りの人たちはそういったツケが回ってこないようにって思うし。

 

-日々、そう思いたいですね。最後に近い将来にやってみたいことなどありますか?

 

●まず畑です。結局今のスタイルはまだ消費者でしかないので。最終的には自給自足が理想で、生きていくっていう、それを自分たちでやりたいので。お野菜とかも自分で採ったりとか。いつになるかわからないけど最終的には食べものを自分たちで賄うこと。そして山の中へと。(笑)梨舞の言葉だけど、生産者になるには、ちゃんと消費することを分かってないといけないって、僕もそうだなって思っていて。ちゃんとした消費者を全うするっていう。その上で生産者になろうということで。それを自分たちで実践して体験して。

 

○最終的にそっちの段階にいけたらいいねって、そういう生活が「あたりまえ」になっていったらいいなって。

 

 

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糸-ito-

釧路市住吉1-9-12 1F

Open 10:30-17:00(L.O 16:30)

定休日 日曜日

駐車場 3台あり

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